ダンヴィル・コレクション
ダンヴィル・コレクションは10,000枚以上の資料から構成されていて、現在ではどれも「ガリカ」で閲覧可能です。その中で日本に関する地図は64枚あります。
「ヤポニア」
最も古い地図にはラテン語で「ヤポニア」というタイトルが付けられています。これはゲラルドゥス・メルカトル(1512—1594)の世界地図の、1633年にアムステルダムで出版されたフランス語版のうちの1枚です。
「ヤポニア」は、アブラハム・オルテリウス(1527−1598)によって1595年に彼の世界地図『テアトルム・オルビス・テラールム(世界の地図)』の中の「ヤポニアエ・インスラエ・デスクリプティオ(日本島の記述)」という地図に基づいて作られたものです。
ここでは、日本は3つの島から構成されています。すなわち、九州、四国、そして本州です。北海道の存在はまだ知られていませんでしたが、メルカトルが1587年に出版したもうひとつの世界地図に見られるような、15、16世紀に西欧で描かれたインゲン豆型の日本と比べると格段の進歩が見られます。
日本の北方領土
コレクションの中の日本地図の多様さから、18世紀のフランス地理学においては日本の北の地方をどう描くか未定だったことが分かります。18世紀初頭になっても、日本が島か否かという議論が続いていたのです(『ジュルナル・デ・サヴァン』紙、1700年5月31日月曜日)。
北海道はその当時は蝦夷地と呼ばれ、地図作製者たちにとって大きな謎でした。ギョーム・ドリル(1675−1726)は、1705年に出版された『インドと中国の地図』において日本列島を海で隔てさせています。他の仮説では、北海道は「韃靼」(「アジアの地図」1723年、ギョーム・デリル)、「カムチャツカ」(「日本列島の地図」、1735年、ジャック=ニコラ・ベラン(1703−1772))と陸続きになっています。
この問題が解決されたのは1787年になってからで、ラ・ペルーズ船長が北海道北西部の海峡を発見した後のことでした。